中小企業とそこで働く人々を愛し
法理念と各社の経営理念を
調和した人事労務を探求し
誰もが明るく働ける雇用社会を
作ることに貢献しよう

昭和42年5月生まれ。
千葉県八千代市出身。
父はサラリーマン。
時枝はもともと大分県の姓。
父が生まれたのは農家でしたが、次男である父は田畑がないので東京に出て就職しました。
そして、地元で同じく農家の長女だった母と結婚。
二人とも農家だったからか、両親は日常生活でも口数がとても少なかったのです。
夕食後は、父は本を読み、母は黙々と家事をしていて、会話がないことが自然でした。
そんなわけで私自身も話すことに慣れていなくて苦手。
外でも大人しい、というか引っ込み思案の子どもでした。

小学生になると、周囲ではプロ野球が盛り上がっていました。
巨人では長嶋選手、王選手が活躍中、特に王選手の756号本塁打に感激しました。
男子は皆、放課後は空き地で草野球。
私も入れてもらって、守備はたいていライトでした。
たまにフライが飛んできます。
私は、落下位置に走ってグローブを構えるのですが、
決まってずいぶん離れたところにボールがストーンと落ちるのです。
慌ててボールを追いかけますが、それも遅くて、たいていランニングホームランになりました。
打球が伸びるのに追いついていけず、何度、味方をがっかりさせたことか。
クラスの中でも「どん臭い奴」という存在で、やはり引っ込み思案に生きていました。
中学校に入って部活に入ろうとしましたが、引っ込み思案のままでしたので
間もなく帰宅部になりました。
そんな私に声をかけてくれた級友が、麻雀を覚えたばかりの面々でした。
麻雀を覚えてメンツに加わらないかという誘いです。
級友たちに教わったとおりに切ると「ロン!」と言われる洗礼を受けながら、
放課後はこの雀友たちと毎日のように麻雀を打つようになりました。
高校に入っても顔ぶれは変わらず、変わったのが雀荘で打つようになったことと、
徹夜で打つテツマンが加わったことくらいです。
「麻雀でもそれだけはまったなら、何か得たものはあるでしょう?」と
優しく尋ねてくれる方はいますが、ムダな時間を費やした以外の何物でもありません。
こんな生活ですから勉強に身が入るわけもなく、大学受験はすべて不合格。
人生を棒に振りました。さすがに両親も怒りました。
そして、浪人中は少しだけ麻雀を抑えて、何とか合格させてくれたところに行きました。
大学は経済学部に入りました。
今の仕事は法律関係ですが、当時は法律にまったく興味がなかったのです。
そして、級友たちとよく話していたのは
「俺ら私立文系だから、企業では営業をやれっていう話になるよな」という会話でした。
OBから企業の話を聞きましたが、時代はバブル末期です。
「接待の場では、どれだけバカになれるかが大事だ!
バカになればお客さんとの距離が縮まって、仕事が取れる!」
これを聞いて、私はドン引きし「自分には無理!」と思いました。
そして、接待で売上が決まるB to Bよりも消費者が忖度なく売り手を選別する
B to Cのビジネスの方が公正ではないかと考えるようになりました。
そして、幸い都内の百貨店から内定をいただくことができました。

入社して最初に配属された売場は婦人服。
そして若手男子は、百貨店本体の売場ではなく、ホテル販売会の下準備を手伝います。
最初は商品の搬出入といった力仕事ばかりですが、やがて販売会で何をどのように販売するかの
計画を立てるようになります。
このとき力を借りるのが催事専門のアパレル業者さん。
販売会での商品を提案し、マネキンさんと呼ばれる販売員さんも手配します。
私は当初、予算を達成するにはお客様のニーズに合った商品を揃えることが肝心と思っていました。
しかし、店頭に立って見渡していますと、販売員さんの接客の方が影響力があるように感じました。
そこで、私は担当させてもらった催事では、
当日集まった販売員さんが接客に専念できるよう、タイムスケジュールや昼休み・トイレなどの
案内と百貨店のルールを、朝礼時に詳しく伝えるようにしました。
さらには、マネキンさんで誰が販売力があるかを観察して、アパレル業者さんに
「次回の催事にはAさんとBさんを押さえて欲しい」などと頼んでいました。
今考えればコンプラ上、問題になりかねませんが、昔話としてご容赦ください。
そうすると、催事の日にしか会わない販売員さんも「時枝に協力してあげよう」という
といった雰囲気になり、彼女たちの活躍で、担当催事は予算がだんだん達成しやすくなりました。
この体験が、総務とか人事といった間接部門が好きになったきっかけでした。
そして、のちに総務・人事の専門資格で社会保険労務士というものがあるのだと知って
勉強してみようと思うようになりました。
平成12年、社会保険労務士試験に合格して、登録しました。
その会社は、製造業専門の派遣会社。
全国展開をしていて、主要拠点に社労士を配置したいのだと面接で労務部長が話してくれました。
幸い採用していただき、関東事業部という部署で、労災や労働局対応を担当しました。
折しも労働者派遣が製造業にも解禁され、朝日新聞による「偽装請負」報道をきっかけに、
全国の労働局が地域の主要工場に立入調査するといった、派遣業界の激動期でした。
私は、埼玉労働局、群馬労働局、栃木労働局の需給調整事業部門との対応実務を重ねました。
こんなわけで、労働局対応は平成16年から現在に至るまで、20年以上続けております。
労働局対応をしながら、やがて地域の営業所長たちから呼ばれるようになりました。
当時の製造派遣のスタッフというのは、地方出身で、何か理由があって地元にいられなくなった
のだろうなと思われる男性(ときにカップル)です。
カバン一つで派遣会社の事務所に来て「仕事と住むところが欲しい」と言うのです。
そんな方々に派遣会社は仕事をお世話するのですが、働き始めたスタッフの中には
法律用語を織り交ぜながら営業所にクレームや金銭要求をする方がいるのです。
すると、営業所長たちは「このスタッフの要求は法的にもっともなものか?」
「直接、話を聞いてやって、判断してもらえないか」と頼んできました。
こうしてクレームを言うスタッフと直接会って話を聞き、是々非々の回答をする、
という泥臭い仕事を数多くさせていただきました。
おかげで、社労士としての足腰が強くなったように思います。
製造派遣の会社にはお世話になったのですが、
自分の事務所を持ちたくて、平成18年に開業しました。
と言っても、自宅の一室を事務所として届け出ただけです。
38歳でした。
最初に顧客になってくださったのが、地元の解体会社さん。
ゼネコンから歌舞伎座や首相官邸の内装解体を頼まれる程の立派な会社です。
身に余る幸運がうれしかったのと同時に、
顧客から「そちらの事務所に行くよ」と言われたらどうしよう・・・
いえ、私が伺います!と言い続けなければ・・・
そんな思いでドキドキしながら過ごしていた自宅開業時代でした。
顧客は、少しずつですが増えてきました。
そのうち「自分の外出中に、他の人に書類作成を進めてもらえればなあ」
と思うようになりました。
「パートさんなら何とか給料は払えるかも」
「でも、パートさんは社労士の自宅事務所でなんて働きたくないよな・・・」
「どこか事務所を借りるとなると、家賃が毎月出ていくぞ。払えるかな・・・」
とても悩んだ末に、やっと事務所を借りました。
机を3台置けるだけの、小さな事務所です。
そして、パートさんを採用できました。
時給の他に、交通費が欲しいと言われました。
「雨が降っていない日は自転車で来ます。
でも雨の日はバスに乗るので、バス代をもらえませんか」
私は、いいですよと答えました。
雨の日には、出勤簿にバス代発生を記録してもらいました。
「雨」のことで、後でパートさんと意見が分かれるなど、思いもよりませんでした。
「所長、今朝は雨が降っていたので、バス代をお願いします」
「え、今朝は曇ってはいたけど、雨は降っていなかったと思うよ・・・」
「私が家を出るときは降っていたんです」
「そうなの・・・、あ、判りました・・・。バス代を付けていいですよ」
こんなやり取りが何度かあって、パートさんも言いにくかったのでしょう。
勤めて2か月ほどで「親の介護が始まった」と言って辞めていきました。
私は、交通費ひとつ従業員に納得させられないのに
社労士だなんて名乗れないよなあと落ち込みました。
苦いスタートでした。
この頃は、個人事業の時枝社会保険労務士事務所でした。
でも、社労士でも法人が作れることになり、法人になってみようと思いました。
まずは事務所の名前からです。
最初に思い浮かんだのは「経営法務」ということばです。
社長さんや総務部長さんからは、労働法に収まらない質問もいただきます。
例えば、役員の給料のご相談でしたら、会社法や所得税法も関係してきます。
そんなとき、弁護士や税理士に教わり、自分なりも考えて
「全体を踏まえて、こうするのがいいと思います」
「A,Bの選択肢が考えられます。メリット・デメリットはそれぞれこうです」
とご案内して、喜んでいただく経験が何度もありました。
「会社に関する法的な疑問は、まずは何でもお聞きしますよ」
という事務所姿勢をお伝えしたかったのです。
次に「ポルテー」は「扉」を意味するフランス語です。
「ドア」よりカッコいいと思ってしまいました(笑)
人事労務のトラブルがあると、社長さんや総務部長さんは、
ご自身で解決しようとされます。
中には、苦労ばかりする道を選んでしまう方がいらっしゃいます。
でも、いちど選べば、途中で後戻りはできません。
ここで時枝の役割は、苦労しない道へと続く「扉」をご案内すること。
この「扉」は、決して目には見えません。
だからこそ、時枝が「扉はここにあります。この扉を開けて進んで下さい」
とご案内しなければ、という志が込められています。
百貨店時代、派遣会社時代の上司や先輩は、
ドン臭い私に仕事の基本を徹底的に教えてくださいました。
自分がこの年齢になって、あのときの上司の苦労が判る気がします。
開業後は、第二東京弁護士会の秋山清人先生から労務・社会保険法研究会に
外部者ながら毎月、参加させていただく機会を賜りました。
会員弁護士さんの貴重な事例発表や議論から学べる貴重な場です。
賃金分野では、北見式賃金研究所の北見昌朗塾長から
賃金提案の基本から応用まで惜しみない指導を賜っています。
弁護士、税理士、司法書士、行政書士、弁理士の皆様からは
プロフェッショナルとしての豊かな知識と経験のもと
いつも変わらぬ力強いご指導をいただいており、感謝の気持ちでいっぱいです。
そして、事務所では女性職員5名に支えられて
なんとか所長を務めさせてもらっています。
人に恵まれた自分の幸運をかみしめつつ、
これを顧客への貢献へとしていく所存です。
PHILOSOPHY
一燈照隅
中小企業とそこで働く人々を愛し
法理念と各社の経営理念を
調和した人事労務を探求し
誰もが明るく働ける雇用社会を
作ることに貢献しよう
ポルテー経営法務
顧問先さまに毎月お届けしているニュースレターの中から選んでご紹介します